為すあらんとする者は|3月10日のことです。
Release: 2019/03/10 Update: 2019/03/10
為すあらんとする者は
顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章)
がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはまたかくのごとし。(とうぶんこうじょうしゅしょう)
【訳】
(孔子の弟子)顔淵は、「舜はいかなる人間であろうか。私はいかなる人間であろうか(同じ人間である。それならば、努力さえすれば舜のようになれない道理はない)」といったという。何事かを成し遂げようとする人物は、誰でもこうあるべきである。
孟子一日一語、3月10日の言葉です。
今の人も顔淵にもなれるし孔子にもなれる。
こうなりたいと強く思うことが大事なんでしょうね。
強く強く思うことが大事なんでしょうが弱い自分もいます。
どうすればいいのでしょうか。
一歩一歩いくしかありませんね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
務を知らず 三年の喪を能くせずして而して緦・小功を之察し、放飯流歠して而して歯決なきを問ふ。是れを之れ務を知らずと謂ふ。(尽心上四十六章) さんねんのもをよくせずしてしこうしてし・しょうこうをこれさっ…
善を好む 善を好む。(告子下十三章) ぜんをこのむ。(こくししもじゅうさんしょう) 【訳】 (孟子の弟子の楽正子は)善を好む人間である。 〇松陰は、「『善を好む』ということは、政治をとる人が座右の銘と…
唯だ理に当たるのみ 尹氏曰く、言ふこころは君子の辞受取予は唯だ理に当たるのみと。(公孫丑下三章) 【訳】 尹氏がいっている。「(孟子が)いいたいことは、心ある立派な人が他者から物を受け取るかの基準は、…
君の臣を視ること手足の如ければ 君の真を視ること手足の如ければ、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如ければ、則ち臣の君を視ること国人の如し。(離婁下三章) きみのしんをみることてあ…
人皆以て堯舜となるべし 人皆以て堯舜となるべし(告子下二章) ひとみなもってぎょうしゅんとなるべし。(こくししもにしょう) 【訳】 人は皆誰でも堯や舜のような聖人になることができる。 〇松陰は、「聖人…