無一物になっても|2月17日のことです。
Release: 2019/02/17 Update: 2019/02/17
無一物になっても
仏教の修行に出家して行脚、托鉢するのは、すべての物質を捨て欲望をはなれたとき、人は自然に養われるもの、そこにかえって自由の天地がうち開けることを、悟るためであろう。
昔の修験の行者が、山に寝、野に伏したのも、この境地を得るためであった。
たとえ無一物になっても、人は必ず自然のふところにいだかれて、生かされてゆくものである。何を苦しんで、生きることにいらぬ心をつかうのであろうか。
丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)、2月17日の言葉です。
どうにでもなるような気がしました。
何も無くなってどうにかなっている人は世の中にはたくさんいるものです。
やれることをやり、やってみたいことにチャレンジする。
駄目なら無一物になるだけと思えばいい。
自分の人生は自分のものです。
明るい笑顔の「ありがとう」の架け橋になるために、今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
本を読む 本を読む場合、分からぬところはそれにこだわらずに読んでいくことです。そうしたところどころピカリピカリと光るところに出合ったら、何か印を付けておくのもよいでしょう。そして一回読み終えたら、少な…
敵の撃つべきを知りて、吾が卒の以て撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。(地形) 知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也。 「(前文とは逆に)敵を攻撃できるという自信があっても、味方の実力を把…
吾が与(とも)に戦う所の地は知るべからず。知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し。(虚実) 吾所与戦之地不可知、不可知、則敵所備者多(敵所備者多、則吾所与戦者寡矣。) 「わが軍と戦う場所を敵は予知…
黎民飢えず寒えず 穀と魚鼈と勝げて食ふべからず。材木勝げて用ふべからず。(中略)七十の者帛を衣、肉を食ひ、黎民飢えず寒えず。(梁恵王上三章) こくとぎょべつをあげてくらうべからず。ざいもくあげてもちう…
日々新たに 名誉や地位や才能や世間の評判や、そうした、はっきりせぬ影のようなものにつかまり、失うまいとあせる。それがかえって自分をそこにくぎづけにして、進歩も向上もさせないことになる。 一境に達すれば…