生への感謝
Release: 2022/07/25 Update: 2022/07/25
現代の人々は、自分が人身を与えられたことに対して、深い感謝の念を持つ人ははなはだ少ないようであります。仏教には「人身うけがたし」というような言葉が昔からいわれているのです。つまり昔の人たちは、自分が人間として生をこの世にうけたことに対して、衷心から感謝したものであります。【21】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分がなぜ人として生を受けたのか、ということを深く考えたことはありませんよね。
しかし、そういうことを考えるべきなんでしょうね。
時代により様々な考え方が出てきますが人間に生まれなくては考えることもできません。
そう考えると感謝というものが湧き上がってこないといけないのでしょうね。
今出来ることを精一杯やり、残った時間を読書に充てると教授が言っていたような。
時間の使い方も含めてしっかり考えたいところです。
真剣にやれることはそうないので健康に気をつけていきます。
関連コンテンツ
導きの光 そもそも人間界のことというものは、一人の人間が自己に与えられた職責に対して、真に深く撤していったならば、その足跡は必ずや全国各地の同じ道を歩んでいる幾多の人々の参考になり、その導きの光となる…
一筋の道 自己の一切を捧げ、己れを尽くし切るところ、そこにおのずから一筋の道が開かれてくるわけです。【253】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新 …
かの孔子が論語の始めに「朋遠方より来るあり、亦楽しからずや」と言っている朋というのは、実は「同門の友」ということであります。同時にそう考えますと、また格別の味わいがありましょう。すなわちただ遠方から友…
政治と教育 人間救済の情熱は、これを大別する時、結局、政治と教育という二つの現れ方をすると言ってよいでしょう。 すなわち政治は外を正すことによって、内にも正そうとするものであり、教育とはこれに反して、…
酔生夢死の徒 人間が志を立てるということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。ローソクは、火を点けられて初めて火を放つものです。同様にまた人間は、その志を立てて初めてその人の真価が現れるのです…