生死一如
Release: 2022/11/03 Update: 2022/11/03
生死一如
われわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらに一如ともなるわけであります。【257】
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生と死と言う問題についてはなかなか普段感じることは出来ないわけです。
だんだんと年齢を重ねていくと人の死というものも当たりまえのようになり、その人の死すら思い出すことが薄くなるものです。
思い出されないとうことが死が本当の死だとも聞いたことがあります。
そういう意味では先生は死んでいないのかもしれません。
松陰先生もしかりですし、様々に偉人もそうかもしれません。
生き切るというようなことを悟るというか感じるというか、そういう心境になり実行できる人が死後も忘れ去られない人かもしれません。
それには今日一日なんだろうし、今の一分一秒なんだと思います。
毎日しっかり考えて前に進もうと感じています。
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