人の喜びはわが喜び|3月12日のことです。
Release: 2018/03/12 Update: 2018/08/19
世に楽しみは多い。好きな物をたべる、美しい物を見る、よい着物をきる・・・・いろいろの喜びの中で、どれほどつづけるも、如何にひどくても、いよいよ高まり深まって行くのは、働きに伴う喜びである。
地味で素朴で尽きぬ喜びをわが喜びとする、その喜び、これこそ地上無比の喜びである。
3月12日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の言葉です。
人の喜びが我が喜び。
自分のためにすることの喜びというのはたしかに喜び順位的には低いような気がします。
だれかが喜んでくれた時が一番かもしれません。
それが人間も本能的なことであれば一生懸命に働くしかありませんね。
充実した日々は日頃の働く次第ですね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
天に順ふ者は在し、天に逆ふ者は滅ぶ 天に順ふ者は在し、天に逆ふ者は滅ぶ。(離婁上七章) てんにしたがうものはそんし、てんにさからうものはほろぶ。(りろうかみななしょう) 【訳】 自然の道理に従う者は滅…
ほんとうの働きとは 生きているということは、動いているといことである。 動くのは、働くのである。その働きが、運動が、雑であるときは、はたらきと見える。 ああ今日は働いているな、という間は、まだなまける…
天下の為に人を得る 人に分つに財を以てする、之れを恵と謂ふ。(中略)天下の為めに人を得る者は、之れを仁と謂ふ。是の故に天下を以て人を与ふるは易く、天下の為に人得るは難し。(滕文公上四章) ひとのわかつ…
四十歳 人生を山登りに喩えますと、四十歳はちょうど山の頂のようなもので、山の頂に立って見ますと、わが来し方も、初めてしみじみと振り返って見ることができると共にまた後半生をいかに生きたらよいかということ…
人の本性 平和な日常の生活、それは物がなくてもは一日も一分も生きて行けない生活(と考えられる)、これは実は、錯覚の生活である。 心に何の憂いもなければ、たとえ水を飲んで暮らしていても幸福である。 苦し…