責なきのみ|5月11日のことです。
Release: 2018/05/11 Update: 2018/05/11
責なきのみ
責なきのみ(離婁上二十二章)
【訳】
(自分の言葉に)責任を感じないからである。
〇松陰は、「人々が気楽に言葉を口にするのは、それを自分の責任とするという覚悟がないからである。その実行を責任とするという覚悟があれば、気楽に言葉を口にすることはできないはずである」と記している。
孟子一日一言、5月11日、今日の言葉です。
言葉を出す。
もし、言葉を話すことが出来なかったら一つひとつの文を相当考えて使うと思います。
そんな気持ちで言葉を出すということをしなければいけませんね。
きっと松下村塾ではそういう「実行」ということを学んでいたんでしょうね。
国の将来を考えて話すとしても実行というは非常に難しいことです。
だから、言葉を軽々しく発してはいけない。
日本を変えていった偉人に感謝です。
今日も一日がんばります。
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