階段を登る工夫①さらさらと
Release: 2022/07/22 Update: 2022/07/22
階段を登る工夫①さらさらと
諸君は階段を昇るとき、まるで廊下でも歩くように、さらさらと登る工夫をしてごらんなさい。というのも人間の生命力の強さは、ある意味ではそうしたことによっても、養われると言えるからです。
階段の途中に差しかかって、急に速度がにぶるようでは、それはその人が、心身ともにまだ生命力の弱い証拠と言ってもよいでしょう。と申すのも、この場合速度というものが、やがてまた人生の逆境にも通ずるとも言えるからです。【502】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
とにかく意識をどこに向けているのか、というのは大事なことです。
立腰などもその典型だとも言えるでしょね。
背骨を常に意識する、猫背になっていないかなどです。
パソコン向っているときの自分の姿勢なんかは気を抜けば肘をつき斜めの角度になっているものです。
歯磨きなども歯茎に意識を向けているかなど、なんでも言えることがあるものです。
身辺いたるところ誰に言われるでもなく実践する。
それにはいつでも二度なしと一日を過ごすことが大事になってきそうです。
関連コンテンツ
人間というものは、ある意味では常に逆境に処する心の準備をしていなくてはいけないのです。もう一つ突っ込んで言えば、人間は毎日逆境に処する際の心構えをしていなくてはいけないとも言えましょう。 ところが…
弾力のある人間になる 諸君も今から気をつけて、弾力のある人間にならねば駄目です。ところで弾力のある人間になる最初の着手点は、何と言ってもまず読書でしょう。ですから、若いうちから努めて良書を読むことです…
とにかく人間は、「自己を築くのは自己以外にない」ということを、改めて深く覚悟しなければならぬと思います。すなわち、われわれの日々の生活は、この「自分」という、一生に唯一の彫刻を刻みつつあるのだという…
たくましい人間になる 真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってもよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる…
否定の価値 そもそも精神というものは、それが真に伸びるためには、必ずや何らかの意味において、一種の否定を通らなければなりません。すなわち、この否定という浄化作用、すなわち自己反省というものを通らずに伸…