食の自由の境地|5月24日のことです。
Release: 2019/05/24 Update: 2019/05/24
食の自由の境地
世には、同じ物を食べる事をいやがったり、それがいかぬように思ったりする向きがある。これは間違いである。
ことさらに同じ物ばかり食べる必要がないが、得られない時は何日でも何カ月でも同じ物を食べて、少しもあきない。それでも、少しも体にさわらないという食べ方が、本当である。
お米の御飯はどうであろう。ミソ汁は、お茶は、たくあんは、年がら年中、同じものを同じ方法で煮炊きし、同じように食べる。そして、いよいよおいしく、いよいよ栄養になる。これが、食物に対する真の自由の境地と言える。
5月24日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
お米、味噌汁、お茶、たくあん。
考えてみると普段、実にいろんなものを食べている。
粗食が一番ですね。
だから太るんでしょうね。
いつでもどこでも食べる世の中は。
食べるものをしっかりと考えていくべきでしょうね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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