堯舜・湯武・五覇|11月5日のことです。
Release: 2018/11/05 Update: 2018/11/05
堯舜・湯武・五覇
堯舜は之れを性にするなり。湯武は之れを身にするなり。五覇は之れを仮るなり。久しく仮りて帰さず、悪んぞ其の有に非ざるを知らんや。(尽心上三十章)
【訳】
堯や舜は、自分の天性のままに仁義を行った。殷の湯王や武王は、修養により仁義を身に付けたのである。あの春秋時代の五覇は表面的に仁義らしくふるまっただけである。ところが、長い間借りたままで返さなければ、借り物であって本物ではないということが、誰にも分らなくなってしまうのである。
11月5日、孟子一日一言の言葉です。
長い間貸す。
返してもらいづらくなる。
こういうことはありますね。
ふるまって本物なることがあるのでしょうか。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
命は天意に根ざす 父母の恩は、生命の根元にさかのぼってこれを与えられた施与の恩と、さらにこれをはぐくみ育てて今日までにしてくれた愛育の恩とひろがる。 しかしこの恩を、さらに深く広く思いをめぐらすと、命…
物は私すべからず 物は、「天与のもの」、与えられるもの。人間が、無いものをつくり出すのではない。 ここから「物は私すべからざるもの」、「自分勝手にしてはならぬもの」という倫理が生まれてくる。 昔から「…
事業の目的 この仕事は、何のためにするのか、だれのためにするのか。 これまでは、自分の金もうけのため一家の幸福のためであり、それが当然と思い、何の疑いも持たなかった。 それが実は、さかさまである。人の…
春をたずねて、家を出た。青い鳥を慕って、故郷を後にした。気がついてみると、匂う春は庭前一輪の梅花にあった。恋い慕うた鳥は、軒端に戻っていた。香気に満ちた仙境は、わが家であった。 見かけの上では、誇と、…
涙の調教を経た愛 涙の調教を経ない、いわゆる愛は、山から捕えてきたばかりのサルのように、どこにかみつくかわからない。 愛は、人間のものにならなければならぬ。 愛が人間のものとなってくると、まずにじみ出…