偉人は自を凡夫と知る
Release: 2022/03/21 Update: 2022/03/21
偉人は自を凡夫と知る
真に偉大な人格というものは、決して自分自身を、偉大であるなどとは思わないでしょう。何となれば、現在自分のなめている苦しみを、単に自分一人だけのものとは思わず、世の多くの人々が自分同様にこのような苦しみをなめていることを深く知っているからです。すなわち偉大な人というものは、つねに自分もまた人生の苦悩の大海の裡に浮沈している、凡夫人の一人にすぎないという自覚に立っているのです。【367】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分の苦しみを他人も追っているかもしれない。
そこまで考えていないというのが実に凡人でおめでたいという他ありませんね。
自分が大変だったことは他人にはおわせたくないというこはありますが、自分で完結しているところがいけないのでしょうね。
常にだれかも苦労しているかもしれない、なんとか良くなる方法がないのかという思考を働かせないとこのままになってしますのでしょうか。
深く生きるということは実に難しいものですね。
頭の構造を変えたいです。
関連コンテンツ
安じてこの世を去る この世にある間は、自分の全力を挙げてこの世の務めを尽くす。これやがて、安じてこの世を去る唯一の秘訣でありましょう。いざという時に心残りのない道、これ真に安じて死に得る唯一の道であり…
義務の読書は意味がない 書物というものは、義務意識で読んだんでは駄目です。義務意識や、見せびらかし根性で読みますと、その本の三分の一はおろか、五分の一の意味も分からないでしまいます。【137】 #修身…
無礼講 人間の地金は、お酒の席でよく分かるものです。いい年をしながら、宴会を無礼講だなどと考え違いをして、勝手のいい放題をしているようでは、人間も一生浮かばれないんですネ。【137】 #修身教授録一日…
真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる道を踏み外さないばかりか…
自修の人 とにかく人間は、「自己を磨くのは自己以外にない」ということを、改めて深く覚悟しなければならぬと思います。すなわち、われわれの日々の生活は、この「自分」という、一生に唯一つの彫刻を刻みつつある…