理義の我が心悦ばすは
Release: 2018/08/09 Update: 2018/08/09
理義の我が心悦ばすは
理義の我が心悦ばすは、猶ほ芻拳の我が口を悦ばすがごとし。(告子上七章)
【訳】
道理や徳義が万人を「本当にそうだ」と納得させ、満足させることは、牛や豚の美味しい肉が我々の舌を満足させてくれるのと同じようなものである。
〇松陰は、「道理や徳義はいつでもどこでも私の心を納得させ、満足させてくれる。食べて満足するともう欲しくなくなる美味しい肉などと比較されるようなことではない」と記している。
8月8日、孟子一日一言の言葉です。
道理が美味しいというのはちょっと違う。
吉田松陰先生の言葉が残ってしまいます。
だれに対しても誠実で思いやりのあること。
それを目指すべきだと思いました。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
鍛錬 われわれ凡人は人生のある時刻において、何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、真の人間とはなれないのではないでしょうか。【160】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿…
毎日毎日、それこそ何はしなくとも、これだけは欠かすことのできない食事について、正しい美しい人類の文化を、心ゆくまで味わい、保ってまいりたいと存じます。 これにつけても、食事をする室は寝室と並んで、一家…
天職に捧げる一生 職業を持ち、これにすべての力をかけることが、人間の生きがいである。 鉄道線路の一つの踏切番を、四十年間務めぬいた人がある。私の叔母は八十四歳で、田舎家の台所で働き、家を愛し、田を守っ…
言葉は、生命の発動である。たましいの息吹である。 生命とか、霊とかいっても、その発動以前は、有るとも無いともいえないでのある。稲妻のように、光らぬ前は電気の有無はわからないのである。 ひとたび発動して…
心に忘るるなかれ 必ず事とするあり、正するなかれ。心に忘るるなかれ。助けて長ぜしむるなかれ(公孫丑上二章) かならずこととするあり、あててするなかれ。こころにわするるなかれ。たすけてちょうぜしむるなか…