苦しみは慈愛のムチ|4月21日のことです。
Release: 2018/04/21 Update: 2018/04/21
苦しみは慈愛のムチ
その人は重い胸の病にかかって、永年病床に呻吟していた。
ある日、病床に目覚めてこう思った。「自分はこれまでずいぶん我がままであった。両親をはじめ人様に、ずいぶん迷惑をかけた。もし私の体が元のごとく健康になったならば、一生を人のために捧げよう」と。その時を峠として病は、ぬれ紙をはぐごとく回復して、ついに健康体に返った。
人生に起こる苦しみはことごとく自然の慈愛のムチである。勇敢に苦難の扉をおし開けば、そこにただちに、ひろびろとした光明歓喜の世界がうち開ける。
丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、4月21日の言葉です。
実際にこういうことがあるのでしょうね。
あると思います。
しかし、いっぺんに変わることもないとも思います。
病気したり、手痛い失敗をしたり、日々の過ちを乗り越えていくこと。
また、乗り越えていかねばなりません。
どんなことでも良い方向に向かっていくんだと前向きに進むしかありませんね。
そこには信念というもの必要かもしれません。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
古人を友とする 私はだれでも得られる良友を、諸友にお勧め致したいのです。これは、古人を伴とするのです。 一貫不断の努力をつづけて一事に達した人々の伝記は、時の古今をとわず、所の東西をとわず。皆私どもを…
2月27日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の今日の言葉です。 男は、人の見ぬところでゴソゴソするものではありません。 堂々と、「この私を見てくれ」というのでなくてはウソであります。 角力…
我の外に何物もなし 実は、世に我の外には何もないのである。我が目で見た花であり、我が耳が捕えた鳥であり、我が手がふれた物質であり、我が全身に知った人類であり、社会であり、科学であり、芸術である。 我あ…
「大我」と「小我」 人には互いに助け互いに思う、二つの我がある。 「大なる我」は常に、国家にあり、民族にあり、世界にあり、文化にある。 「小なる我」は、おのおのその職場にあり、その仕事をはたらき、日々…
自分が変わる 苦難は幸福に入る門であり、これがあるから正しい倫理がわかり(風が吹くので空気のあることがわかるように)、正しいレールに乗ると、そこに幸福が待っておる。 妻や子や親、すべて相手を変えようと…