教育の意義は立志に極まる
Release: 2022/06/28 Update: 2022/06/28
教育の意義は立志に極まる
教育の意義は、立志の一事に極まると言ってもよいほどです。故にまた真に志が立つならば、ある意味では、もはやしいて教え込む必要はないとさえ言えましょう。というのも真に志が立ったら、自分に必要な一切の知識は、自ら求めて止まないからであります。【92】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
立志とはその人が人生における自分の使命の意義を、いかほど強く自覚して生きるかにかかっている。
人生目標をしっかりと立てるということは、若いうちと年齢がいってからでは当然違います。
しかし、このタイミングも人それぞれなんでしょうが、若いうちに気づくことはある意味では幸せだと思います。
立志ということまでいくと、必要なものは自分で当然ながら吸収していこうと思うでしょう。
教授がいわれるように学生時代の忙しさと働いてからの忙しさは違います。
また、吸収速度も違います。
こう生きると決めた人ほどすごいものです。
関連コンテンツ
普通に良寛というと、大抵の人がすぐに童心ということを考えて、子どもたちと一緒に、ひねもすスミレをつんで遊ぶ姿を思い出すようです。おそらく諸君らにしても同様だろうと思いますが、しかし良寛がそのような世…
常に志とともにあれ いやしくも、ひとたび真の志が立つならば、それは事あるごとに、常にわが念頭に現れて、直接間接に、自分の一挙一足に至るまで、支配するところまでいかねばならぬと思うのです。【296】 #…
存在感 真に偉大な人格は、これに接した人々が、直接眼のあたりその人の接した時よりも、むしろその膝下を去って、初めてその偉大さに気付くものであります。金剛山の高さは、山の中にいる時よりも、これを遠ざかっ…
いかなる事情がありましょうとも父親軽視の種まきだけは絶対にいけません。と申しますのもわが子が「父親軽視」になり、やがて「父親」に対する不信感に陥りますと、わが子を根本的に駄目にしてしまうからです。 #…
今人間の活動を大体六十歳頃までと考えますと、そのうちに十歳までは志を立てる時代といってよく、すなわち将来国家社会のために役立つ人間になろうという志は、十五歳頃から遅くとも二十歳までには確立せねばならぬ…