涵育薫陶|5月21日のことです。
Release: 2018/05/21 Update: 2018/05/21
涵育薫陶
養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり。(離婁下七章)
ようとはかんいくくんとうしてそのみずからかするをまつをいうなり。(りろうしもななしょう)
【訳】
養うとは、仁の徳でうるおし育み、訓育教化し、自然に(よい方向)変わることを待つことである。
〇松陰は、この朱子の註の一部を取り上げ、「涵は綿を水でひたすという意味。育は幼児を乳で育てるという意味。薫はお香をたきこめるという意味。陶は土器を焼き固めるという意味である。人を養う場合も、この涵育薫陶のように行い、人々が自然に化せられて行くのを待つだけである」と記している。
5月21日の孟子一日一言の言葉です。
人材の育成はまさにこのような形でなければいけなんですね。
自然と感化されてよくなっていく。
社長、幹部、上司は徳のある人物にならなくてはいけません。
上から順にいけばきっと業績も上がるのでしょうね。
会社は理念で引っ張っていかなければならないと学ぶました。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
知りにくい自己を知る お互い人間というものは、自分の姿が一ばんに見えないものであります。したがって私達の学問修養の眼目も、畢竟するに、この知りにくい自己を知り、真の自己を実現することだと言ってもようで…
子供の耳 子供の物の聞き方こそは、そのままほんとうの物の聞き方である。舌切り雀も桃太郎もただそのままに、真実の話だと信じ切って聞く。ここに正直な、聡明なよい日本国民が出来上がるのである。 我情をさし挟…
二宮尊徳の教え 早起きで有名なのは、二宮尊徳先生であります。少年の頃から、早く起きて読書され、また、勤労された。先生はいつもゾウリをはき、割羽織に一本さして、二里もある下館町から二番鶏頃に来られ、家々…
人間は、なぜ生命をほしがるのであろうか。生命は世界で他に比べるもののないたった一つの宝であるからであろう。 我が肉体は、父祖にうけ、他に代用できない天下一品の身体である。何をきらい、何をおそれ、何を憂…
悪法も守るべし つつみかくし無く堂々とあけっ放している人には、相手は必ず公平無私に堂々と取り組む。すべて我が心の反映であることは、我らの常に実見するところである。 いわゆる悪法でも、ある限りは守らなけ…