習うとは|12月7日のことです
Release: 2018/12/07 Update: 2018/12/07
習うとは
努力とは、杭を打つようなものである。
同じ力で、同じま(間)でトン、トン、トンと打っていると、どんな土地にでも、どんな棒でも、ずっしりと土に食い入って、こんりざい動かなくなる。
まっすぐに、何も思わず、いつも同じに、力をつちにまかせて…。
そして一度打ち下ろしたつちは、もう力を入れることも圧えることもいらぬ。
けいこというのは、こすいて同じことをくり返すことである。
ならう(習)というのも、ねる(練)というのも、皆、反復である。
12月7日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
反復、反復。それをくり返す。
どんなものでも何度もやらなければ身になりませんね。
スポーツと同じで心も訓練しなければなりません。
明日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
腰を据えて取り組む 機械が故障してどうにもならぬとき、決死の至誠をもってこれに当たる人が出てきますと、みごとに直る。 いくら手をつくしても、どうにも動かぬという機械が、これに当たる人の心を改めてやり直…
母親の胎内に十カ月のやすらぎの成長を遂げると、呱々の声と共に、外界に生まれ出てくる。 その時、肉体は別になるが、呼吸のリズムは、母親と同じ調子に、ちょうど時計のネジをかえられたようにキチキチと同じセコ…
一歩外の出る 君は、服がないという、住宅が狭苦しいとこぼす。 なるほど、君の肉体は破れ服に包まれ、見すぼらしい家に暮らしているのであろう。 それはまちがいないことだ。 しかし心は、いつまでも破れ服の中…
言霊 言葉は、生命の発動である。たましいの息吹である。 生命とか、霊とかいっても、その発動以前は、有るとも無いともいえないでのある。稲妻のように、光らぬ前は電気の有無はわからないのである。 ひとたび発…
己を尊び人に及ぼす 己の、大きな向上、躍進、完成は、己を空しくすることである。身をささげることである。ここに必ず真の幸福が添うのである。 己を尊ぶ心そのままを人に及ぼしてこそ、世界は尊敬の光につつまれ…