ほんとうの働きとは|5月29日のことです。
Release: 2018/05/29 Update: 2018/05/29
ほんとうの働きとは
生きているということは、動いているといことである。
動くのは、働くのである。その働きが、運動が、雑であるときは、はたらきと見える。
ああ今日は働いているな、という間は、まだなまけることのほうが多く、まれに仕事をすると、はたらきと見える。
すなわち働きが、次第にほんとうの働きとなり、いよいよ純になって来ると、遊んでいるように見える。自転車になれた人が、よきアスファルトの道を疾走するとき、まるであそびと見える。
5月29日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、の今日の言葉です。
まだまだ働く人ですね。
あそんでいるように見えるまでいけばほんとうの働きで疲れもしないんでしょうね。
生きるは動く、動くは働く、働くがあそびに見える。
最初は合わない動きも続けることで働くになって年々そのみちのプロになりあそびの境地になる。
あきらめてはいけませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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